沖縄平和視察報告 ~沖縄の過去と今をたどって~

2016年2月17日 20時44分 | カテゴリー: 活動報告

普天間基地を臨む辺野古の海岸線沖縄県平和記念資料館

2月13日、沖縄視察を行い、戦火の沖縄で起こった知られざる史実に触れることができました。

現在も沖縄には米軍や自衛隊の基地が多数存在し、国土面積の1%に満たない沖縄県に全国の在日米軍基地の面積の7割が集中し、今も多くの負担を強いられています。

太平洋戦争の末期に起こった沖縄戦では、沖縄方言で「ガマ」と呼ばれる石灰岩で形成された鍾乳洞が住民や日本兵の避難場所として、また野戦病院として利用され多くの悲劇が残っています。

訪れた轟壕(ガマ)は、全長およそ100メートルで、沖縄戦当時、数百人の住民が避難していたといわれています。先に捕虜になった人の呼びかけに応じて投降し、最終的に600人の住民が、生き延びたとされる一方で、アメリカ軍の攻撃が続く中、日本兵に追いやられ、多くの人が餓死するなどして犠牲になったといわれています。

戦後、米軍の支配下に入った1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦訓練などのために沖縄本島の米軍北部訓練場に設置した通称「ベトナム村」に乳幼児を連れた東村高江の住民20人が戦闘訓練に動員させられベトナム現地民の役を演じさせられたと説明がありました。調べてみると、訓練場周辺の住民が木材の切り出しに入った際に、米軍が仕掛けた落とし穴で重傷を負ったり、訓練中の兵士が演習地から外れて民家近くまで迫ったりしたことが度々あったそうで、訓練場で枯れ葉剤が散布されていたとの退役軍人の証言もありました。(琉球新報記事より)

2015年1月1日現在、本土のアメリカ軍基地は、その約60%が日本に返還されて、大幅に縮小が進んだにもかかわらず、沖縄の基地は、およそ16%しか日本に返還されていません。世界一危険と言われる普天間基地の返還は沖縄県民の悲願で、ガイドの下地さんによると、これによる経済効果はこれまでの従業員207人から3万2090人雇用が可能となり、税収は520億円と試算され、これまでの軍用地料65億8千100万円から大幅に改善され直接経済効果は4,522億円とも言われています。

しかし、それは辺野古移設が条件と言われ、反対派賛成派の県民を二分し日本全体の「しわ寄せ」が来ています。

9.11以降米軍は多様な脅威への備えのために、グアムを世界でも有数の総合的な軍事 拠点として開発する戦略を打ち出し、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることも明らかになっています。

沖縄の未来のためにも辺野古の豊かな自然はそのままに、いつか県民の心にある「沖縄は本土の捨て石」という感傷が癒える日が来ることを願わずにはいられませんでした。

大和市では大和市平和都市推進事業として、市内の小学生から高校生を広島へ派遣し被爆体験者の講演や平和施設を見学し平和学習の理解を深めることを目的とした事業を行っており、是非、こども達にも沖縄での平和学習を体験する機会を設けるよう市に働きかけたいと思います。